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軍艦島のくらし

島民の生活

軍艦島には学校や病院、映画館、パチンコ店のほか、商店や食堂など、生活に必要なものはほとんど揃っており、島に住んでいるという感覚がないような都会的な暮らしを送っていたと言います。

そんな軍艦島で不便だったのが「水」。島内には湧水がなかったために水の確保は困難を極めました。昭和32年頃には海底水道が完成しましたが、それ以前は会社から発行される「水券」と引き換えに飲料水の配給を受けていました。そのため人々は生活用水に海水を利用するなど、日常的な節水を心がけていました。

この狭い島の中では住民がみな家族同士のような付き合いをしており、よほどのことがない限り家に鍵をかけなかったという島民もいるほど。イベントごととなると皆が協力しあい一つになって盛り上がっていました。

島内でのくらし
奉納祭の様子

軍艦島の自然

軍艦島には草花を育てる場所がなかったため、PTAなどが協力してアパートの屋上に土を運び、花や野菜を育てました。これは日本で最初の屋上庭園でした。
また端島小学校では悪条件に強い「マツバギク」を各戸に配布し、島内を草花で飾る運動をしていました。「緑なき島」に少しでも緑を増やして安らぎを求めたのでしょう。

軍艦島は海に囲まれているために風や波の影響を受け、特に台風の被害は甚大なものでした。
満潮時の台風ともなると波の高さは8mになることもあり、打ち付けるしぶきは高さ30mにも達し、建物の上から覆い被さる凄まじさでした。このとき島のメインストリートは川となり、護岸が決壊して大きな被害を与えたことも少なくなかったようです。

屋上緑化
台風で打ち寄せる大波

炭鉱で働く人々

軍艦島は海底炭鉱によって栄えた島です。炭鉱で働く鉱員たちは、ひとたび地下の作業場へ向かうと8時間出てくることはありません。
軍艦島の発掘作業は、海面下1,000m以上の地点にまで及びました。鉱員たちは気温30℃、湿度95%という厳しい環境のもと、常にガス爆発の危険と隣り合わせの中で作業をしていました。

仕事が終わり地上に戻ってきた鉱員たちは、みんな真っ黒になっていました。そんな彼らが向かうのは鉱員浴場。軍艦島では水の確保が難しかったこともあり、鉱員住宅には風呂・トイレがないところも多かったのです。
鉱場内にある共同浴場は海水風呂で、一日の汚れと疲れを落とす鉱員たちにより浴槽はいつも真っ黒だったようです。

端島海底炭鉱区領域図