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元島民が語る軍艦島

語り継いでいきたい想い。軍艦島のこれまでとこれから。

NPO法人軍艦島を世界遺産にする会 理事長 坂本道徳

NPO法人軍艦島を世界遺産にする会 理事長 坂本道徳

長崎港から南西の海上約17・5キロメートルに位置する無人島、端島。通称「軍艦島」。今年5月にユネスコの諮問機関のイコモスが軍艦島を含む「明治日本の産業革命泣産」の全23施設を世界文化遺産に登録するよう勧告したことはまだ記憶に新しい。今から12年前に発足した「軍艦島を世界迫産にする会」の理事長である坂本道徳氏は喜びの気持ちと共に様々な想いを胸にこの報せを聞いたという。それは坂本氏がこの会とそして軍艦島と歩んできた道を振り返った時に多くの苦労や喜びなどの経験をしてきたからに他ならない。また、単に軍艦島を世界遺産にすることだけがこの会の目的ではないことも関係している。

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坂本氏は小学校6年生の時に端島へ移住してきた。引っ越してきた当初は高層アパートが林立する島の風景に驚いたという。それもそのはず1916年に日本で最初の鉄筋コンクリート造りの高層アパートが建築されたこの島は当時日本の最先端を行く、まさに未来を先取りした場所であった。島内の一体感は強く、島民同士はまるで家族のように堅い紳で結ぼれていたそうだ。坂本氏の著書「軍艦烏離島 40年」の中でもこの当時の島での生活の様子がありありと綴られている。

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その後、島を出て会社員をしていた坂本氏に転機が訪れるのは45歳の時。端島が閉山してから実に25年後のことである。端島中学校の同窓会を長崎で聞いた際、希望者のみ端島へ渡航することになった。しかし希望者はわずかであった。 「ボロボロになった島を見るのがつらい。思い出が消えそうになる」というのがその主な理由であった。その時の同級生の言葉は今でも忘れられないと坂本氏は語る。渡航して目にした故郷は長年の風化により住んでいた頃とまるで違う姿であった。そのギャップに涙を流す人もいたそうだ。当時未来を先取りしていた島がまるで日本の未来の姿を示し、警鐘を鳴らしているかのようであった。

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同窓会での端島渡航をきっかけに「どうしても故郷を保存し、守りたい」という気持ちが強くなった坂本氏は仕事を辞め2003年に「軍艦島を世界遺産にする会」を設立した。当時は誰も相手にしてくれず本気にする人もいなかった。そこからは軍艦島講座、執筆活動、各地での講演活動や外部団体との連携、写真展開催など多くの人に島の歴史を発信し、少しずつ理解者を増やしていった。軍艦島ツアーではガイドも務め、元島民として当時の生の声を伝えている。

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「外観が軍艦に似ていることから軍艦島とよばれるようになったが、島で暮らす島民にとってみればそこは端島。いかに外観をもって有名になったとしても島の暮らしや、なぜ無人島になったかなどの本質を後世に伝えられなければ会の真の目的は成就しない」と語る坂本氏。「世界遺産になり、島に人々が暮らしていた跡をただ保存しただけでは意味がない。カタチだけを残すのではなく島民達の暮らしを含めた記憶も残していかねばならない。実際の島民だけが語り継いでいくのではなく、私たちから話を聞いた人たちがさらに多くの方々に語り伝えてくれると熔しい」。かつて暮らした端島の緋は閉山後40年を経た今もなお脈々と受け継がれ、坂本氏とこの島をそして人々を強く結びつけている。

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本ページの内容は、エース出版長崎社から発行された長崎観光の情報誌「アナイ長崎 vol.35(2015年夏発行)」に掲載された記事です。