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軍艦島の今と昔

今に残る面影

ドルフィン桟橋

日本初のドルフィン式可動桟橋です。長年にわたり島民の夢であったこの桟橋は、台風によって過去2度にわたり流失しました。
これらの経験をもとに研究を重ね、台風の猛威にも耐えうる第3のドルフィン桟橋が完成したのは昭和37年5月のこと。この桟橋が閉山まで利用されました。
今もその名残を残し、軍艦島ツアー船の接岸場所となっています。

昔のドルフィン桟橋
今のドルフィン桟橋

30号棟・31号棟アパート

30号棟アパートは1916(大正5)年に建設され、当時の日本最古の7階建て鉄筋コンクリート造の高層アパートで、鉱員住宅として建てられたこの建物は中が吹き抜けになっており、鉄筋コンクリート造としてもまだ試行錯誤の実験的段階でしたので、建築学上大変貴重な建物です。
31号棟の1階には郵便局、公衆電話、理美容院、地下には公衆風呂がありました。
理美容院は65号棟の地下にもありました。

昔の30号棟・31号棟アパート
今の30号棟・31号棟アパート

総合事務所

鉱山の中枢であったレンガ造りの建物。この島の司令塔的存在でした。子供達は入れなかったそうです。会社の職員を70〜80名が常駐し島内の指示を出していました。
このあたりには多くの建物がありましたが、現在ではそのほとんどが崩壊しています。

今の総合事務所

第二竪坑坑口桟橋跡

主力坑であった第二竪坑を含め、鉱山施設は現在ほとんど崩壊していますが、かろうじて第二竪坑へ行くために設けられた桟橋への昇降階段部分が残っています。第二竪坑の遺構は今ではこれだけです。

昔の第二竪坑坑口桟橋
今の第二竪坑坑口桟橋

貯炭ベルトコンベアー

四角い枠がドミノのように立ち並んでいますが、この上にベルトコンベアーが乗っていました。精製された石炭はこの上を移動、貯炭場に蓄えられ、石炭運搬船に積み込まれました。今はその支柱が残っています。

今の貯炭ベルトコンベア

端島神社

危険と隣り合わせの鉱員たちにとって神社は心のよりどころであり、毎年4月3日の山神祭は全島をあげて盛大に行われました。立派な本殿とその下にあった拝殿は木造だったために倒壊しましたが、祠だけはしっかり残り、この島の守り神のように佇んでいます。

昔の端島神社
今の端島神社

端島小中学校

1958(昭和33)年に建てられた現存の建物は7階建てで、1階から4階までが小学校、5階以上は中学校となっていました。最盛期は生徒数700名を超えました。
窓が非常に大きく造られておりますが、この島は高層アパートが隣接しているため、日当たりが非常に悪く、4階以下にはほとんど日が当たりませんでした。そのため、皮膚病にかかる人も多かったのです。せめて子供たちには日当たりのよい環境で授業を受けさせてやりたいという親心から、窓が非常に広く造られていました。

昔の端島小中学校
今の端島小中学校

プール

1952(昭和27)年に端島小中学校の前に建設されましたが、1956(昭和31)年の台風9・12号で大破し、1958(昭和33)年に現存する場所に完成しました。このプールは幼児用プールと25mプールとが併設されていました。
当初は海水が使用されていましたが、閉山の1〜2年くらい前から水道水になりました。

昔のプール